ノラ・ジョーンズ
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さりげない歌の中に、安らぎを覚えますね。甘い歌声でもなく、技巧的でもなく、激しい感情でもなく、安らぎだけの軽さでもない。歌のことば、歌の響きや表現があたかも自然に、こころに届くのは、すなおな美しい歌声だからかもしれませんね。
ノラ・ジョーンズのメジャー・デビュー作Come away with
meが発表された2002年2月から20年以上の歳月が流れた。ジャズの歴史におけるノラ・ジョーンズの意味を考えようと思い、彼女のデビュー作を聴き直した。この20年の間、オリジナル・アルバムはもちろん、ブートレグを含む多くのCDとDVDを聞き、ノラ・ジョーンズの声には慣れ親しんできたつもりだった。それにもかかわらず、一曲目Don’t Know
Whyの冒頭で彼女の声が聞こえるや否や、ボクは震えてしまった。まるで初めて聴くかのような新鮮さだった。きっと20年前も同じような感動を味わったのだろう。それでみんな彼女のトリコになったのだ。いつまでも古びない歌声を持つということは偉大な歌手の条件だろう。だが、ノラ・ジョーンズはこれまでに何人も登場してきた偉大な歌手の一人ではなく、それ以上の意味を持っているように思えてならない。そう思うのは、一方でノラ・ジョーンズはジャズの老舗レーベル、ブルー・ノート・レコードからリリースされているにも関わらず、彼女のヴォーカルはジャズという枠組みをはみ出し、それどころかいかなるカテゴリゼーションをも拒否しているかのように聞こえるからだ。カテゴリゼーションを拒否しているように思えるのは独創的なアーティストの証だろう。ビートルズはロックなのか、ボブ・ディランはフォークなのか。それと同じようにノラ・ジョーンズはジャズなのかと問うことができるだろう。その答えはたいてい「どちらでもよい」ということに落ち着くことになる。ビートルズがロックであるにせよないにせよ、彼らの魅力が失われるわけではない。ノラ・ジョーンズの場合も同じだ。問題はむしろ、ノラ・ジョーンズをジャズ・ヴォーカリストと看做すときに始まる。確かにジャズ・ヴォーカリストとしてのノラ・ジョーンズの魅力について語られることは少なくない。だが、ボクにはノラ・ジョーンズがジャズという枠組みからはみ出しているという印象を拭いきれないのだ。(なぜならボクが典型的なジャズ・ヴォーカルに感じる暑苦しさと汗臭さ、演歌にも通ずる加齢臭がノラ・ジョーンズには感じられないからだ。)それでもなおノラ・ジョーンズがブルー・ノートからリリースされ続けるとすれば、それはジャズと言う音楽がまたしても新しいステージに進みつつあることを意味しているのではないか。モダン・ジャズはビ・バップに始まり、ハード・バップ、モード、フリー、ジャズ・ロック、フュージョンと展開してきたが、個々のステージが始まった時、新しいジャズがどれほどの射程を持っているか、同時代の人間には見極められなかっただろう。例えば、オーネット・コールマンの『ジャズ、来るべきもの』が発表された時、デレク・ベイリーのようなノイズ・ギターを予想できたものはいなかっただろう。それと同じように、ノラ・ジョーンズが指し示しているかもしれないジャズの未来がボクたちにはまだまったく見えてこない。今、ノラ・ジョーンズのデビュー作を聴き直すということは、この20年に現れた未来の芽を総括しつつ、この先に現れる未来を楽しみに待つことなのかもしれない。
Come Away With Me